第101回 技は盗むもの

先月に続き、再び、零戦パイロットの坂井三郎さんの話になるが、戦時下においても“技は盗むものだ”と、坂井さんは言う。自ら工夫し、苦心して体得した戦闘機の操縦技術はむやみに人には教えないのだそうだ。先輩パイロットとの1対1の模擬戦闘訓練を繰り返し、繰り返し行い、敗北の中から学び、腕を上げていく。国の存亡を賭けた戦いにおいても、この方法しかないのかと、疑問に思った。

話は変わるが、私の父が他界しておよそ二十年になる。死んだ後、父の存在は少しずつ大きくなっていく。生きているうちに聞いておけば良かったと思うことがたくさんある。若い時は素直さがなかったと、いまにして思う。立場が変わり、息子に伝えておきたいことは山ほどある。大量の汗と時間と多額の投資で得たノウハウであり、これを身に付ければ親よりもっと先に行くことができるし、同じ失敗をすることはないと思うのだが、相手が求めていなければ無に等しい。

六十を過ぎて思うのは、人の経験を自分のものにしたいということ。いまは人の言葉を素直に聴くことができる。合気道の講習会においても、安野師範、栗林師範の技を忠実に再現することを心がけている。いまの技に至った過去の経緯を知ることはできないが、私たちより何十倍も稽古された結果だからとても重たい。講習会においては、まず自分自身を無にすることが大切だ。気がつくと自分の技になってしまっていることがあるので要注意。

稽古の一瞬一瞬において、“学ぶ”という姿勢を崩してはならない。また、“変える“という意識を失ってはならない。通常の稽古において、指導者の示した技とは異なることを稽古している人をよく見かけるが、無意識に稽古しているのであれば上達はおぼつかない。身についた技を修正するためには、覚えるために要した時間の十倍の稽古が必要だと言う。どんなに貴重な技術を言葉で教えても、なかなか身につかないものだ。教えたい先生と盗みたい生徒の関係が最良であろう。やはり、技は盗むもので、安易に教えるのは逆効果のような気がする。

 

 

 

2013年5月6日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai