第51回 詫びる

武道は“礼に始まり礼に終わる“と言われるように、どこの道場でも礼を稽古の始めと終わりとしています。しかし、ただ単にそのことを言っている言葉ではないと思います。安野師範は”礼“を”零“と置き換えて説明もされていますが、一般的には礼儀作法の大切さを言っています。

礼とは、自分を守るための鎧となるもの、人間関係の摩擦をなくすための潤滑油となるものであり、敬意の表現方法だと私は思っていますが、単純に表現できることではないような気がします。また、礼を語る資格があるのかと自問自答しながら書いています。

野中日文さんは著書「武道の礼儀作法」の中で書いておられます。「挨拶という行動の目的は相手の心を開かせることである。謝罪という行動の目的は、迷惑をかけた相手の怒りや不快感を修復するということである。相手に通じなかったらそれは挨拶したことにならないし、許してもらえなかったら詫びたことにはならない。」

当たり前のことなのですが、礼儀に反しているという過ちに気付くのが遅れた場合、あるいは謝罪の時期を失してしまった場合は不快感を修復することはなかなか困難です。もと通りに修復することは不可能かもしれません。私自身、相手の立場を無視し、自分の立場や考え方を優先して判断・行動したこともありましたし、不快感を修復できない失敗を何度も繰り返して来たように思います。しかし、詫びる気持ちを忘れないでいれば、いつかは、必ずその気持ちが相手に届くものと信じています。

形だけの真心の伴わない礼は透けて見えてしまいます。形は心の表現ですから、形を学ぶと同時にその真意を学ばないといけません。そして、自ら省みて恥じ、詫び、くい改める心がけを忘れぬことが大切です。

 

 

2009年3月1日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai