第203回 死中活あり

 昨年十一月より始めた、小さな貸家のひとり解体作業だったが十二ヶ月かけて屋根瓦降ろしまで終えた。ひとりで瓦を降ろすための道具を廃材で作成し、二度改良を加えたところ、以外と楽に瓦を降ろすことができた。しかし、最後には屋根から投げる、しかもバックスピンを掛けて投げた。失敗すれば割れ、上手くいけば地面の土に突き刺さる、そうでなければ割れずに転がって二枚重ねになる。ゲーム感覚で瓦投げを楽しむ自分が居た。「苦中楽あり」とはこのことか・・・

 思想家安岡正篤師に六中観(りくちゅうかん)の言葉がある。「忙中閑あり」、「苦中楽あり」、「死中活あり」、「壺中天あり」、「意中人あり」、「腹中書あり」を云う。真偽の程は定かではないが、「死中活あり」には次のような話がある。「瀬戸内海の渦が見られる鳴門海峡のところで船が沈んだ。多くの人が渦に巻き込まれて死んでいった。一人の先生は、渦に出合っても何の抵抗もせずに渦に身を任せた。最初に渦に引き込まれてずっと海底まで沈んでいったら足で地面を蹴ってから上に浮く。浮くとまた渦に巻き込まれる。身を任せて慌てなかった。こうして七~八回浮いたり沈んだりしているうちに救助船に発見された。渦に逆らって生きようともがいた人たちは亡くなり、捨て身で渦に任せた先生は助かった。」

 この話は、坂村真民さんが語っているが、とても実話とは思えない。渦に身を任せてしまえば生を断念することにならないだろうか、最初に海底に着くまでは必死にもがいたのではないだろうか。どのような状況でも捨て身になることは容易ではない。しかし、「死中活あり」とは、“もう駄目だという状況の中にも必ず活路はある”ということで、生きることを断念することではない。捨て身の覚悟で臨むことができれば、活路を見出すことができると云うことと理解する。

 合気道にも倒れ込みながら投げる、捨て身技も有るようだが、正面打ち入身投げは捨て身技だと思っている。相手が打ち込んで来るまでは待つ、動かない、思惑通り斬ってきた瞬間に動いて打ち込みをかわす。捨て身の心構えで成立する技ではないかと考えている。

2021年12月6日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai