第202回 無言の教え

 稽古中の子ども達はとても優しい。剣や杖を使って稽古をしても、稽古相手を傷つけたりしないよう気遣っている。剣を打ち下ろす、或いは杖で突いていくという攻撃に於いても、相手に当たらないよう大きく軌道を外している。しっかり当てるように言っても、本当に当てていく子は居ないことが分かっていても、“ゆっくり当てていきなさい”と注意している。

 少年部に限らず、一般部でも優しい人が多い。その気持ちは理解できるが、“稽古は真剣でなければならない、正確でなければならない”と大部分の人が頭では考えているはずである。しかし、稽古で剣や杖を操作するとなると、無意識のうちに相手に当たらないように、という思いやりが優先してしまっている。このような稽古を繰り返していると、実際は当たっているにも関わらず、攻撃をかわせているという誤った情報を身体が覚えてしまうのを危惧している。無意味な稽古にならないよう、正確な間合い、そして受けの正確な攻撃を心掛けなければならない。

 私が大学四年生の時、正面打ち入身投げの稽古を、尊敬する先輩と行っていた時のことは、今も忘れない。入身したと思った瞬間、先輩の手が私の肩に落ちてきた。連続して二度起こった時、初めて自分の未熟さに気づいた。素手での正面打ちの手が肩に当たるとは、本当に幼稚な入身をしていたのであろう。先輩は何事もなかったように無言のまま、淡々と稽古を続けられていた。今も先輩の無言の教えを有り難く思っている。

 故意に当たらないように攻撃する、という稽古は何の意味もなさない。頭で考えて受けを取っていると、このような事が起きてしまう。攻撃に対する相手の動きが分かるため、当てないようにしてしまう。正確に間合いを取って相対する、正確な打ち込みをする、万一当たりそうになれば寸止めする。寸止め出来るようにするためには剣、杖の扱いに慣れるため、日々素振りを欠かさないようにすることが大切。そして当たるところを知れば、自ずと当たらないところを知ることができる。

2021年11月6日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai