宮本武蔵、稽古中の説明でこの名を山口清吾先生から聞いたことがあるが、残念ながらそれ以上のことは記憶していない。宮本武蔵は剣術家のみならず、兵法家であり芸術家でもある。写真ではあるが、武蔵が彫った迫力のある不動明王を初めて見た時の感動は忘れられない。また、武蔵の祖父には父無二斎と武助の二人が居り、祖父から一七代目になる武助の系統が今も続いているのも驚きだ。
武蔵が残した「五輪書」の水の巻に「兵法の目付と云事」がある。「目の付様は、大に広く付る目也。観見二つの事。観の目つよく、見の目よはく。遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也。(略)目の玉動かずして、両脇を見る事肝要也。(略)」。このように、相対した相手を見る時は、身体の各部位の動きに囚われることなく、相手の中心に目を向けていても両脇まで全体が見えるようにする、と理解する。ただ、相手の何処に視点を置くかは書かれていない。
「合気道技法」には、大先生の言葉として、「相手の目を見てはいけない、目に心を吸収されてしまう。相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。だから私はこのまま立っとればいいんじゃ。」とあり、具体的に見てはいけない部位を言われている。相手を見てはいけないというのは、宮本武蔵の“観の目つよく、見の目よわく”と同じ意味と考える。私の経験だが、剣術稽古で相手の目を見てしまい、気迫に圧倒され何も出来なくなったことがある。また、相手の剣を見ると、剣に気を取られ相手の動きが見えなくなる。
山口清吾先生の稽古では、目付の箇所についての具体的な説明を聞くことは出来なかったが、「足下から」という言葉は繰り返し使われていた。今では、目付の事とは、顔は相手を向いていても、相手の目を見るのでは無く眉間に視点を置き、足下から相手の全体が把握できるようにすることとしている。