第240回 過ちて改めざる是を過ちと謂う

 最近のメディア報道において、人権侵害・コンプライアンスの問題を取り上げない日はない状況が続いている。加害者は早々に芸能界を引退し幕引き。加害者の扱いと記者会見を誤ったテレビ局は自浄作用が働かず、CM会社からの圧力によって改革を迫られており、今後の展開が注目されている。

 過ちを犯すことを正当化するのではないが、人は過ちを犯し、失敗を繰り返しながら成長するものだと思っている。勿論、間違いを起こさない方が良いに決まっているが、自分自身を振り返ってみると、大きな過ち、小さな過ちが多々思い起こされる。同じ過ちを二度三度と繰り返さないことを信条としてきたつもりではあるが、過ちに気付かなければその限りでは無い。同じ過ちを繰り返さない為には、失敗の原因を把握しておかなければならない。

 古代中国の思想家、孔子の論語には『過(あやま)てば即ち改むるに憚(はばか)ることなかれ。過ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。』とある。また、孔子の人物評価は『過ちを、ふたたびせず』ということを基準としている。この言葉に、私は救われている。

 合気道の稽古に於いて、過ちに起因することのひとつに、“怪我”がある。一つ目は、強引な投げ、必要以上の力により相手に怪我をさせること。二つ目は、“取り”の意に反した受身を取って怪我をすること。一つ目の怪我は、“受け”に対する配慮の欠如で、受けのスキルに併せて投げること、また関節技には“受け”の反応を確認しながら力を加えること、逆には、“取り”に力の過度を知らせることが大切なこと。二つ目の怪我は、“受け”の判断誤りや思い込みが原因となる為、“取り”の力に従って身体を動かすことが大切だが、容易なことではない。

 過ちに気付けば即座に修正し、過ちの有無を絶えず注視すること、これは指導者としての私の責務だと思っている。

2025年2月1日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai