第210回 諸行無常

 コロナ禍による非日常が、いまや日常に変わりつつある。コロナ以前の、無心に稽古に明け暮れた変わらぬ日々は戻ってくるのだろうかと、一抹の不安を感じる。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」から始まる平家物語。コロナ禍により、この世の中に変わらぬものはないという、諸行無常を感じさせられる。

 私の恩師山口清吾先生は、とても情に厚い方だった。大学を卒業し、広島に就職した私の様な若造に、手紙と写真を下さったことがあり、今も大切に保管している。そのような先生に対し、失礼は無かっただろうか、誠心誠意を尽くしただろうか、等といまになっても思う。山口先生から頂いた温情から、至誠ということを学んだ。

 その反面、とても激しい気性で、稽古を終えた道場での出来事で、私の後輩の三年生に対し激昂されたことがあった。先生から道場を綺麗に掃除するように言われたのを、そのまま先生の前で下級生に命令した言葉が先生の逆鱗に触れた。また、稽古中でも理不尽な事に対しては容赦なかったが、ここは私には真似できない。

 私には山口先生のような才能も無く、全く不器用な人間なので、山口先生の足下にも及ばない合気道だが、山口先生に一歩でも近づく夢を今でも追い続けている。器用な人は習得することは早いが、止めるのも早い。不器用な人は、黙々と汗を流し、我慢強く技を習得していくことによって、道場は自分が生きる場、自分にとって心地よい場となってくる。山口先生は合気道を指導するに当たって、「ひとり分かればそれで良い」と言って居られた。いま、私はその心境を理解することができるようになった。

 私の年齢からすれば、広島から益田へと軸足を移さなければならなくなるのは時間の問題。老いを楽しみながら、私の合気道修行を一日でも長く続けたい。“諸行無常”、今日が明日にそのまま繋がるとは限らない人の世だから、一日一生として精一杯生き抜く。

2022年8月9日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai