『感性』という言葉、何となく耳障りが良い。理性や知性は教育によって身につけてられていくものだが、感性を磨く、感性を高めるという使い方からすると、もともと人に備わっているもののようだ。感性を磨くという教育を受けた記憶がないのは、感性を人に伝えることも教えることもできないからだと思う。
画家には画家の感性を磨く方法がある。「すべてのものを見るときに、そのものに問いかける。草花にも問いかける。」という画家もいる。感性というものは絶えず磨き続けていかないと消えてしまうものだと思っている。私が、以前ホームページのコラムを“一年間毎週”書くということに挑戦した年があった。短い文章ではあったが、話題収集に必死になった。本を読み、テレビを観るときもメモを取り続け、新聞、雑誌の切り抜きもして、やっと達成することができた。すべてのものを話題の対象として意識化していたから達成できた。しかし、一ヶ月に一回に変更すると、意識化も薄れ、緊張感もなくなり話題探しに苦労することが多々ある。コラムを書くということが、結果として、合気道の感性を磨くことになったかどうか、自分で判断することはできないが、あらゆる事を合気道に結びつける習慣はできた。
私たちは日々の稽古のなかで勝ちパターンを身体に染み込ませている。最終的には、どのような攻撃に対しても対処できなければならない。相手の攻撃を読むことができれば、勝ちパターンにはめることができるので、相手の動きを先に読み取る能力を稽古からつかんでいく必要がある。また、同時に、相手との間の取り方を身体で覚えていくことが大切。この、相手を読む、間を取るというは合気道で磨いていく感性のひとつだと考えている。
あるホテルでは、ペットボトルの水をコップに移して飲むという小さなことを続けることで、ホテルサービスの感性を磨き、継続する事で必ず変化があると言う。稽古以外に感性を磨く方法があるということだ。感性を磨くこととは、人生の質を高めることにもつながる。もっと工夫が必要。
