第57回 礼法

道主と小笠原清忠(弓馬術礼法教場31世宗家)さんとの対談の中で、「楽にもできる、厳しくもできる。それを決めるのは自分。」というくだりがありました。今の世は楽をしようということばかりで、マナー教室でも、楽に座る方法を教えていることから、「礼法であったらいかに自分を律して鍛えるかが大事だが、どこに礼法の目標を置くかが難しい。」と宗家は言います。

礼法においても、自らを律することが大切だけど、目標設定によっては楽にも、厳しくも、学ぶことができるということですが、それは礼法に限らず、どの習い事にも通じるものと思います。少年部で言えば、遊び感覚で来ている子と、強くなりたいという気持ちで来ている子の違いであり、大人ではストレス発散・運動不足解消としての、あるいは求道としての稽古なのかということです。あくびをしながら呑気に稽古する子もいれば、必死に苦痛に耐えながら頑張る子もいます。叱っても強制はしないので、どちらにするかは自由です。楽にもできる、厳しくもできる。それを決めるのは自分なのです。

また、礼法にとって最も難しいことは、「常に正しい姿勢を維持するということ。動作のどこの部分を取ってもそれが正しくないと、その動作は道理にかなわない。」と言います。山口先生はとても姿勢が良く、技のどこの部分を取っても奇麗な姿勢をしておられました。私は、息子からも姿勢の悪さを指摘されるのですが、正しい姿勢を保とうとしても、疲れとともに姿勢の維持が困難になります。正しい姿勢は脳を刺激することで、緊張をもたらすことができるのですが、身体の疲れは姿勢を崩し、さらには緊張感を断ってしまいます。

稽古中も、自分の姿勢の悪さにハッと気付くことがあります。自らを律することの難しさを痛感しております。

 

 

 

2009年9月4日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai