コロナ禍、十分な稽古が出来なかった事情もあるなかで、恒例の入門部、少年部昇級審査を行った。入門部ではコロナ感染予防対策の観点から行ってきた、親子での稽古が良くない結果が生じた。審査を子ども同士で行ったところ、片手取りでの取りと受けの初動を何度も間違えるという事態が起こってしまった。大人と稽古することで、自分で考える事をやめてしまったものと思われる。
合気会本部道場の審査要項に、呼吸法(座技)と呼吸法(立技)がある。諸手取り呼吸投げ(表裏)が立技の技で、壱級審査からこの立技がある。呼吸力の養成方法と位置づけられている。道主の言葉を借りれば、呼吸のように意識せず無理なく自然と発揮される力を呼吸力と言い、体の中心から生まれる体全体を貫く力を、相手と触れている部位を通じて発揮すると言われている。誰にも分かるように説明されている。
次に山口清吾先生が書かれた資料に呼吸についての記述がある。『合気呼吸こそは、人の本来具備している全能力を引き出し発揮させる生命躍動の理法であり、同時にその実際的手段である。術そのものである、全ての技の命である。心・氣・力・一致の武術の極地もこれによって初めて可能になる。心身一如、自由自在の達人の境界境地もその修練の必然の結果に他ならない。大先生は武術の上のみにとどまらず深く天地大自然の理法・万物創造、生成発展の理法として合気・呼吸を説かれた。それを神ながら武産合気の道と名付けられ、また、簡単に合気道とし人間修練の普遍の大道行法として教示された。丹田気勢の充実と入身転換合気呼吸の理法の錬磨がすべての技の要諦である。武蔵も云っているように、いつく事は死ぬ事であり、われ自ら吾が動き、働きを殺すことである。先ず足がいつかぬ事が肝要であり、心も体も目も手も、どこもいつかぬ様心掛けて、技の鍛錬をする事が大切である。』
山口先生は合気呼吸と入身転換を稽古鍛錬法の中心として説明されている。稽古に当たり、この二つのことを明確に意識することが大切だと思っている。