第182回 人生は運

人生は運だ。運というものは半分は持って生まれてくるけど、あとの半分は自分でつくるものだ、と言っている人がいる。持って生まれたものが運かどうか、生まれた家や親が運によるものかどうかは分からない。しかし、貧しい家に生まれることは不運で、裕福な家に生まれることは幸運とすれば、貧乏も諦めがつく。

 あとの半分の自分でつくる運は、六十八年生きてきた今なら納得できる。会社生活を送っていた頃は、良い上司に恵まれないことに不運を感じていた。それは退職を迎えるまで変わらなかった。会社より合気道を優先させたためやむを得ないというところはあった。退職により、ようやくその不運から開放されたとき、いやな上司と会社生活に耐えることが試練だったと思えるようになって、少しずつ良いことが起きるようになった気がしている。意識が変わることで現実も好転してきたのだと思う。

 大げさな表現だが、お釈迦様はこいつはみどころがあるからと、人の何倍も艱難辛苦を与えてくださった。(?)自分はいつも運が悪いと思っていたが苦労を乗り越える経験ができたことは、実は運が良かったんだと思えるようになった。山口先生に出会えたことは何よりも幸運であり、人生の後半を合気道三昧で過ごせること、皆さんと出会えたことは有難く、幸運と感じている。

山口清吾先生が亡くなられて二十四年になる。色々な師範に学んできたいま、山口先生の技を見失ってしまった感があり、見直しを行っている。公開されている動画で確認する方法しかないが、自分の技が理にかなった動きか、無駄な動きがないかをチェックしている。また、道主との比較も山口先生の技を理解するうえで面白い。技は変化していくものだと認識している、日々変化することもあり得る。ただ、子ども達に技を指導するにあたっては、子ども仕様に変えているところが若干あるので、そういう目で少年部の技を見て頂きたい。

2020年2月1日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai