大先生(植芝盛平翁)から産み出された合気道、数多くの弟子の中で最後の弟子となられた故山口清吾先生に引き継がれた合気道が、私の合気道の核となっている。仲間の先輩達の中には、ひとりの後輩に「ふるい合気道」だと表現されたようだ。大先生の技は、年齢と共に変化しているように聞いている。当て身について言えば、初期は“当て身七割、技三割”であったが、三代目道主も当て身の解説はされているが、当て身の技は少ない。当道場の見学者で、当て身を知らない合気道経験者が居たが、当て身は徐々に消えていくのかもしれない。
私達稽古人は師範の技を目標に稽古する。良い癖も、悪い癖も構わず、師範の技を目指して稽古するうちに、遠目で観ると師範と間違える程に似てくる。これが理想だと思っている。師範から直接指導を受けている間は古いか、そうでないかは問題にしないが、その師範が亡くなられた時点から、師範の技は“ふるい”という事になるのだろうか。合気道の探求、技の進化が停止してしまえば、師範の生死に関わらず、“ふるい合気道”と言われるのか。
私の若い頃と違うことは、後方回転受身が横受身に変わったことだ。講習会を機に数年前に横受身を取り入れたが、後方回転受身をしなくなったのは何時からか定かではない。また、技の種類の多様性も挙げられる。しかし、当て身を除いて基本的な所は変わっていないので、“ふるい合気道”は無いと思っている。
古い、新しいが問題では無く、大先生が残された言葉に思いを巡らせ、合気道の理解を深めることが大切な事だ。しかし、理解する事は容易ではなく相当な時間を要する。山口先生が亡くなられる前に、「やっと合気道が分かるようになったら、死なないといけない」と云われた。大先生の言葉、「合気は禊ぎであり、神のなせる世直しの姿である。」「合気道とは各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり和合の道であり愛の道なのです」等々、分からないことばかりだ。