第183回 無我

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、全国小中高校が臨時休校となった。これは私が生まれて初めて経験する事態だが、このような事態を招く前に、まだまだできることがあったのではないのか。その判断を狂わせたものは何だろうかと疑問に思う。しかし、私達は私達ができることを実行し、これ以上、感染を拡大さないようにしなければならない。いま、何の心配もなく合気道を楽しむことのできる世の中の有難さを痛感している。

イタリア初の女性医師マリア・モンテッソーリによって考案された教育法というのがあるのを知った。それを実践している保育園もあるようだ。その教育内容は「子どもには本来自分を育てる力が備わっているという“自己教育力”を前提に自発的な活動を促すもの。また、敏感期と呼ばれる“こだわり”を強くする時期があり、それを認めてあげることが大事だ」と説いている。

 私に一歳半のかわいい孫がいる。階段に興味を持ち登り降りを楽しむ、積み木を重ねる、私のコーヒーカップを片付ける、新しい言葉を何度も繰り返して覚える、母親が居ないことに気付けば私を頼る、音楽に合わせて踊る、公園では座り込んで○を書く。モンテッソーリ教育をそのまま実践しているようにも思える。この教育目的は「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てること。」だそうだ。

 孫は日々の成長の様が目に見える程、一日一日を有意義(?)に過ごしている。言葉を覚えるには、オウム返しで記憶する。発音が難しい言葉は一人で何度も繰り返す。言葉ゼロからの吸収力に、何も邪魔するものはない。成長するにつれ、まねをすることが難しくなるのは何故?合気道の稽古において、指導者の言葉を耳では聞いていても、聞き入れることができていないことがある。成長とともに“自我”が芽生え、“我”が受入れの器をゼロにできない理由だと考える。“無我”になることこそ上達の要であり、一つの目標ではないだろうか。

2020年2月29日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai