第218回 自分を越える

自分を越える =

 移動することが出来ない桜の木は、その場で厳しい冬の寒さを耐え忍び、一斉に花を咲かせる。何処で咲く桜も、厳寒に耐えたからこそ、見る人に感動を与える。また、花の命が短いことが、人の心を動かす。懸命に咲いた桜を満喫したい、花の下で弁当を広げて。

 冬、暖房もなく窓を開け、冷たかった道場が、春の陽気を感じるようになり、人の動きも活発になった。去る人、来る人が有るが、継続の難しさを感じている。合気道は自己完成の道、稽古は、今の自分を乗り越える手段だと思っている。子ども達には稽古で、礼儀作法覚えること、感謝の心を知ることはもちろんのこと、達成感を味わって欲しい、自分に自信を持てるようになって欲しいと願っている。去った人には、どれだけの事を習得して行ったのかと思っている。

 講習会や他道場での稽古では、師範から私の技への指摘を頂く機会がある。しかし、当会の稽古ではそれは無いので、自分で気付く以外に、自分の欠点を知る方法はない。自分の欠点を知って、修正しなければ、進歩も自分を越えることも望めない。意識下にある動作の中で、自分の欠点を認識できることは有り難いことであり、一度で克服する気構えが必要なことだと考える。意識下にある動作とは、手で正面打をする、正面打を両手で受ける、四方投げで投げるといったもので、意識的に自分の身体をコントロールすることができるものを言っている。

 ところが、一度覚えたことには、徐々に意識が届かなくなるのであろう。注意されると修正することは出来ても、元に戻ってしまう。この修正・復帰を繰り返し、ついに修正から遠ざかってしまう人と、一度の注意で修正ができる人が居る。これは大人子どもに関係が無いのはどういうことかと不思議に思う。

 意識していない部分、意識できない部分の修正はとても難しい。しかし、指摘されたことを、ひとつひとつ修正することで、今の自分を越えていくことができる。

 

2023年3月31日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai