この頃、子ども達のことで、気になることが二つある。一つ目は、挨拶、準備運動、筋力トレーニング、稽古で手を抜いているのを見ること。強制はしないので、その様子を観ているが、時には注意を与えることもある。手抜きする子にはそれなりの理由があるのかもしれない。挨拶の声が聞こえないと、“あいさつしたか?”と聞く、“しました”と答える。挨拶は、「私はここにいます」という宣言だから、道場の出入りでの挨拶は、心の声では意味がない。また、準備運動、筋トレ、稽古は体力的に厳しいものではない。やっていることの意味を理解し、全力で取り組むことが出来ないのは問題だ。手を抜くことが善いことかどうか考え、善いことだけを行ない、あらゆることを全身全霊で取り組めば、大きな成果も得られ、喜びも増大することを学んで欲しい。
二つ目は、投げられた後の前方回転受身を転がらないことだ。これは、見かけると注意しているが、理由を聞いても正当な理由にはなっていない。一般部の稽古においても、受身で転がらないという場面を見ることが稀にある。受身を拒否している訳ではないが、途中で放棄し完結していない。投げた人間は不快感しか残らないし、受けを途中放棄した人間は信頼を損なう。しかし、これは私が始めたのが伝染したのではないかと危惧している。そうであれば、大いに反省しなければならない。
合気道の稽古で一番大切なことは、相手への感謝の気持ちを忘れないことだと思っている。効くはずのない技でも、受けを取ってくれる相手に対する感謝の気持ちを忘れてはならない。この感謝の気持ちがなければ、稽古は楽しくなくなると同時に、稽古が成立しなくなる状況になってしまうことがある。
日本航空を再建した故稲森和夫氏の言葉を紹介したい。「死にゆく時、生まれた時よりも少しでもましな美しい魂に、また優しい思いやりに満ちた美しい心を持った魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はありません。人生とは魂を磨き、心を磨く道場と思っています。」合気道はまさに魂を磨く道場、全身全霊で。