第215回 念ずれば花ひらく

長く生きていることは無駄ではなかったとしみじみ思う年になった

見えなかったものや聞こえなかったものが

見えだし聞こえだしたのもありがたい喜びの一つだが

一番大きな喜びは色々の悲しみを知ったことだった

(坂村真民)

 先日のこと、九十七才で他界された仏教詩人・坂村真民さんのこの言葉と出会った。見えなかったものが見えだし、聞こえなかったものが聞こえだしたものは一体何だろうか。自分の事に置き換えてあれこれ考えを巡らせてみたが、結局「限界」という、喜びとは言いがたいことしか思いつかなかった。一番に肉体の限界が分かるようになり、限界を超えると即座に身体に支障を来すことが分かったこと、これは喜びとは程遠い。しかし、合気道に関してひとつだけ挙げることができる“喜び”は、良い稽古と悪い稽古をはっきり区別できるようになったこと、稽古方法を間違えると合気道が見えなくなると考えるようになったこと。

 また、坂村真民さんは、色々の悲しみを知ったことが一番の喜びと言われる。人は悲しみを多く経験するほど強くなれる、強く大きく成長することができたことが一番の喜びと想像する。

 今年、山口清吾先生の年に成ろうとしている。亡くなられる前、「合気道が少し分かってきた」ということを言われた。私がどれだけ稽古しても、そこまでの境地に到達できないが、目標を設定し、一回一回の稽古を大切に前に進みたい。今年一年、生活習慣を改め体力向上を図り、稽古内容の改めるべきところがあれば改善を行なう、これは私の目標。そして九十才まで合気道が私の夢。

 「念ずれば花ひらく」(坂村真民)

2023年1月7日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai