第161回 能はざるに非ざるなり、為さざるなり

四月二十四日、「野球解説者の衣笠祥雄さんが上行結腸がんで死去」のニュース速報がテレビ画面に流され、テレビ番組では衣笠さんの功績を称える多くの映像が映し出された。その中で、1122試合連続出場で肩甲骨に死球を受け骨折しながらも翌日の試合も代打で出場し、連続試合出場の記録を切らなかった時の談話が記憶に残った。『バットを一回振るのに三秒、三回振っても九秒、二十四時間のなかの九秒を我慢できないことはないでしょう。』そして、痛みを感じさせないフルスイング、そして三振アウトで首を捻りながらベンチに帰る衣笠さんの姿があった。野球人生を全うされた衣笠さんのご冥福を祈ります

ことを成す人の覚悟とは、この様なものかと痛感させられた。この頃の子ども達は、“ムリムリ”と言うのが口癖になっている。何もしないうちから、もう出来ないと決めつけ、やってみようとしない。この言葉を発することで、自ら成長の可能性をつぶしている。“ムリ”、“デキナイ”という言葉は使わないこと、先ずは、できるようにするための方法を考えるようにすることが大切。

吉田松陰の「講孟余話」に、「能(あた)はざるに非(あら)ざるなり、為(な)さざるなり。」という言葉がある。「できないのではない、やらないのである。」ということ。

私が合気道を始めたきっかけは、自らの体験からではないが、“自分の大切な人を守りたい”という一念と、大学のサークル紹介での生田合気道同好会との出会いだった。まだまだ、道半ばで満足のいく成果は得ていないが、健康を維持する努力を欠かさず、生涯稽古を続けていきたと思っている。

合気道を始めるに当たり、ひとそれぞれの理由があるが、やめる時の理由は健康以外にはない。仕事が忙しくても、忙しいから稽古ができないのではなく、稽古しないだけだ。人生は短い、自分が生きて、合気道の稽古だけはやり遂げた、やっと合気道が分かりかけてきた、と言えるようになりたい。

 

2018年4月28日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai