第206回 楽しい稽古

 先日のこと、二十三年のブランクから稽古を再開し、現在、台湾で指導をしている三年下の後輩から連絡をもらい、「九十才になるまで合気道を続け、今度一緒に稽古しよう!」という、いつ実現するか分からない約束を取り交わした。彼は、光輝会の合気道を“楽しい合気道”と表現した。光輝会ホームページ閲覧の感想ではないかと思っているが、真意は不明。楽しく稽古することは継続のための最低条件であろう、しかし、“楽しい”の先に続くもの、“目標”が無ければならない。楽しいだけでは十年二十年と続けることは出来ない。

 三月に入っても広島では稽古が開始できない状況の中、二月に益田で今年の初稽古を行った。相手は二十代の青年ひとりなのだが、初心者なので全ての動作に解説が必要となる。できる限り簡潔な説明にして、身体を動かす時間を多く取るように心掛けている。

 また、益田のもう一つのクラスも、受身、基本動作、基本技を中心に初心者の稽古を繰り返しているので技の手順を覚えることに時間を費やしている。初心者同士の稽古なので、稽古相手から指導を受けることが出来ない状況がある。見過ごして技の間違いを指摘できないことがあるのは残念だ。

 厳しい道場では、稽古中の会話、笑顔が許されない所も有る。しかし、当会は楽しく稽古することを優先しているので、お互いに話をしながら技を覚えており、時には笑い声も聞こえてくる。

 観点を変えて、同じ技を一時間続けた場合でも“楽しい稽古”が出来るだろうか?楽しい稽古の為には技の探究心が無ければならない、自分自身と相手の身体の微妙な変化を感じなければならないと考える。私自身、同じ相手と同じ技を一時間稽古した経験はないが、ダメ出し、技の解説する時間も多くなってくるだろう。親切のつもりのダメ出し・解説も、相手にとっては迷惑となることがある。多くの言葉よりも、技を掛けて受身を取る、そして一言アドバイスで楽しい稽古を目指したい。

2022年3月7日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai