第195回 つまらないことでも

 私が合気道に出会って、五十年の歳月が過ぎた。身体の柔軟性と体力が無くなった今、三十代でのブランク九年間は大きな損失だったと思うようになった。居合と槍の稽古だけではその穴埋めは出来なかった。続けていれば、山口先生にもっと稽古をつけて頂けたのにと、思えば残念でならない。

 学生時代のこと、本部道場で稽古を終えて、当時本部道場指導員だった安野師範(先輩)から合気道新聞を折りたたむ仕事を依頼されたことがあった。私の後輩数名と作業していたが、数が多く、そのうち飽きてきたので「こんなことやって何になる?」と、私が不満を漏らしてしまった。その言葉を山口先生が聞いておられ、「そんなことはないよ」と一言いわれたのを今でも覚えている。

 『与えられた仕事に不平を鳴らして往ってしまう人は勿論駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して力を入れぬ人もまた駄目だ。(略)どんな場合をも軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全にし遂げようとしなければならぬ。秀吉が信長に重用された経験も正にこれであった。(渋沢栄一)』太閤秀吉が織田信長に仕えた際の有名な逸話で、信長の草履取りをした時、冷えた草履を懐に入れて温めておいたという。ただの草履取りという仕事を全身全霊でしていたのが秀吉だった。最初は誰でも、誰にでもできる些細なつまらない仕事から与えられるものだ。そのつまらない仕事にどう向き合うか、不満を言いながら適当にやり過ごすか、または、真剣に取り組むかによって将来が変わってくると、今ならはっきり言うことができる。

 稽古に来ると、子ども達は、道場入退室時の挨拶と一礼、雑巾がけ、座る・立つ所作、お辞儀、準備運動、筋トレ等を強制される。入会した以上は嫌でもやらされる。初めは出来なくても、注意されて徐々に出来るようになるが、入退室時の挨拶、お辞儀や四股踏みは、“面倒くさい、面白くない”のか、きちんと出来ている子は少ない。どのように些細な事も勤勉に、忠実に誠意を籠めて成し遂げることが成功につながることを、理解できる子はいないだろうが、“素直”こそ上達の秘訣。

2021年4月3日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai