第178回 至誠天に通ず

子ども達は、稽古中よく「カットバンを貼って欲しい」と言ってくる。しかし、その傷は、稽古による怪我ではなく以前からのものが多い。貼ってもらうと安心するらしく、元気に戻って行く。また、稽古前に、今日はここが痛いと申告してくれる子も稽古が始まると痛さを忘れている。

怪我をしないようにするために行っている稽古前筋力トレーニングを、百パーセントの力でやっているか、手を抜いていないか、いつも見ている。腹筋、背筋、逆立ちなど全てで自分の限界を超えて欲しい。苦しさを乗り越えて欲しい。しかし、できるのにやらない、一番良くないのはそこだ。全力を出し続けた一年間と、手を抜いて誤魔化してきた一年間では大きな差が生じているはず。できないことができるようになれば自信が生まれる。その結果、我慢ができるようになる、苦痛にも耐えられるようになる、さらに、合気道も上手くなり最終的に自分自身が変わる。目指しているのはここだ。

それを可能にするものは“情熱”であり、情熱を持って稽古に取り組むことが大切。ある人の言葉を借りれば、「能力と努力は足し算。能力は磨いた分だけ、努力は重ねた分だけ足し算で積み上がっていく。でも情熱が加われば、掛け算で積み上がっていく。」私は十代で合気道にとりつかれ、三十代で情熱の炎が消えくすぶっていたが、九年後に偶然にも山口先生の広島講習会予定を目にし会場までご挨拶に伺い、再び情熱を取り戻すことができた。情熱を持ち続けるためには、“諦めないこと”そして“工夫をすること”が大切だと思っている。

 情熱をもってことに当たり、諦めなければ必ず願いは叶う。これを孟子の言葉に言い換えた人がいる。「至誠通天」、「至誠天に通ず」という言葉だ。誠の心を尽くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ、認められるという意味だ。これを吉田松陰はこのことを、「至誠にして動かざる者は未だ之有らざるなり」と言っている。私はあきらめない・・・。

2019年10月6日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai