第167回 自己丹誠

突然襲ってくるめまい、これまで経験したことのない出来事が、色々な形で私の身体に起こって来る。そして、身体の病気分布カ所が少しずつ増えていくが、稽古を妨げる致命的な病気がまだないのは、ありがたい。いま、若い頃には想像もできなかった状況になっている。

筋力の衰えは、受身の時に、確実に弊害となって現れてくる。改善策は、筋力トレーニングでこれを補う方法しか他にはない。身体機能が加齢によって低下してくることは、自然界の法則なのでやむを得ないこと。しかし、加齢に伴う様々な経験は自分自身の宝であり、この宝から生まれる知恵と勘によって失われたものを補っていかなればならない。また、失敗経験も多くなれば、判断力も向上するであろうし、加齢も悪いことばかりではない。

老いを楽しむためには、自分自身を放置してはならない、日々精進して自分自身を仕上げていかなければならない、これを“自己丹誠(じこたんせい)”と言う。百一歳で亡くなられた臨済宗の松原泰道さんは、「空しく老いないためには自分自身への丹誠が欠かせません。」と言われている。自己丹誠は死ぬまで続けなければならない。

合気道は道場で稽古するもの、という考え方を捨てなければならない、と考えるようになった。合気道の稽古は相対稽古なので、道場で仲間と共に技の練磨を行うことになる。しかし、剣術は、組太刀であっても、道場に限らずどこでも一人で型稽古をすることができる。道場以外でできる稽古としては、相手の行動の先を読み取ること。長年連れ添った夫婦が、「あれはどうした?」「大丈夫」というような曖昧な会話を、他人が聞いても理解できない。夫婦でなくても、相手の心を読み取るにはどのようにしたら良いのか、その方法は??

効率的にスキルを上げていくためには、どうしたら良いかと常々考えていた。視野を広げ、アンテナを高くして情報収集し、稽古の中に取り入れて来たところ、少しは功を奏してきたと思っている。生きる限り自己丹誠を・・・。

 

 

 

2018年11月3日 | カテゴリー : めざせ達人 | 投稿者 : koukikai