第160回 本物は飽きない

小学校を卒業する二名の男の子と、その母上一人の少年部卒業演武を行った。私自身が受けを取る恒例儀式となった少年部卒業演武だ。受け身を取っていて感じたことは、よくぞここまで稽古を重ねてくれたということ。二人とも、小学一年から始め、六年間熱心に稽古を続けた大きな成果であり、必ずや大きな自信となることを確信する。

 

強くなりたい、上手くなりたい、合気道の極意を得たい、という目的意識と問題意識を持って稽古しているかどうか、いま一度、自分自身に問う機会を持って欲しい。自分の技を変えようとしない、一つの技の繰り返しに飽きる、稽古に飽きる等、これは目的意識・問題意識のないことの現れだと思う。しかし、合気道の稽古の目的は人それぞれであって、一つしかないということではないが、稽古を続ける限りは上手くならなければならない。

 

この道はあきることはない
あきる道は本物ではない
この仕事はあきることはない
あきる仕事は本物ではない  (坂村真民)

 

稽古相手の実力が自分と同等か下の場合、一つの技を、機械的に淡々と、繰り返していると、必ず飽きてくる。また、機械的な受け身や、受けを無視したかのような型にはまった投げは、“飽き”に拍車をかける。万一、飽きのスパイラルにはまりそうになった場合、ここから抜け出す方法として、ひとつは、返し技の瞬間を捉える稽古をすること。そして、受けを否定することなく、その瞬間を半歩だけ、踏み込んでみること。もうひとつは、投げ方を変えてみること。但し、これは相手に不快感を与えることがあるので注意が必要。

 

通常は一つの技を長く続けることはあまりないが、どんなに長く稽古しても、稽古はあきることはない、あきる稽古は本物ではない。